2008.6.4 |
縮小社会について |
久保 愛三 |
人間の行動の motive force は,欲望の充足に対する希求であると思います. これが,政治を動かし,戦争を引き起こし,文明,文化をも作ってきたのでしょう. 欲望は,物欲,性欲,金銭欲,権力欲等(これを便宜上,ここでは俗欲という)のほかに,精神的充足という昔から宗教等の説くものまで(これを便宜上,ここでは清欲という)をも含む広い意味の定義によるものです. 現代は,科学技術のおかげで地球がエネルギー・資源・公害的に持たなくなってきて,さて,持続型社会や社会の縮小が言われはじめていますが,人間が行動する限り,欲望の充足に対する希求の行動は避け得ない事だと思います. どうすれば,エネルギー・資源を食う俗欲から,エネルギー・資源の消費から離れても存在しうる清欲に人間の行動の motive force を転換できるかが,研究の対象にならざるを得ないでしょうが,これは宗教が過去何千年も言ってきてうまく成功していない主題です.(だから,宗教が存在し続けられているのだと思います) 「貧しかった,だけど幸せだった」というように,昔に返る事が出来ればよいのですが,俗欲への希求に支配されている mass としての人間をこのように動かす事は出来ないでしょうね. と言うわけで,現状がじり貧になって,カタストローフが起こり,多くの人間が死んで,mass としての人間の 「貧しくても幸せだね」という general consensus が始めて出来るのでしょう. 残念ながら. カタストローフが起こる前に,「貧しくても幸せだね」という mass としての人間の general consensus が出来るほど,人間が賢いとはとうてい思われない.あくまで,俗欲に対する希求は遙かに強いと思います. すると,カタストローフではなく,それと同じ程度の精神的ショックを mass としての人間に与える方法を模索するのが本研究会の主題ですか. めちゃくちゃに怖い研究会になりそうですね. 全員,火あぶりになるかも知れません. しかし,ダイオキシン,地球温暖化とCO2,等のように,真実とはかけ離れていても,それにより,「地球が危ない」,「人類の存続が危ない」という恐怖感をあおって大衆を集団ヒステリー状態に持ち込む事により,もしかすると,カタストローフ以前に,人に「貧しくても幸せだね」という価値判断基準を持たせるようにする事が出来るかも知れません. しかし,このやり方は「天国に行ける」,「地獄に堕ちる」と人を恐怖心で脅して,ある価値判断基準を強要し,自分の頭でものを考えて判断する事を異端として殺してきた宗教のやり方そのものです.(ご存じでしょうが,異端 heresy とはギリシャ語の hairesis (haireomai, "choose")からの概念です) そして,このような形で地球システムを安定化しても,ごく一部の administration 層は,俗欲を十二分に満足できる特権階級になるという歴史が繰り返されます. |